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霧の彼方へ [c o m i c]



  • 季節は秋、日がな一日、気怠く暗く静まりかえって、空から雲が重苦しくたれ込める中を、わたしはただひとり馬に乗り、無類なほど鬱蒼とした地方を旅していた。そしてとうとう、夜のとばりがあたりを包むころ、陰鬱なるアッシャー家の屋敷を目にすることになったのだった。なぜかはわからないが、その屋敷を一瞥するやいなや、度し難いほど暗い気分が心に沁み込んだ。いま「度し難い」と言ったのは、ふつう人間の心というものは、詩的ゆえに半ば快感を覚える情緒を介在させることによって、仮に目の前に拡がる自然風景がどれほどひどく荒涼とし凄絶なるものであっても、たいてい受け止めることができるものだが、このときわたしが感じた気分は、そうした知的な処理をいっさい許さないたぐいに属していたからである。目の前の景色を追いかけてみよう。まずはアッシャー家の屋敷そのものがあり、その領地の輪郭自体は簡素なるものだ。しかし寒々とした壁や虚ろなる眼にも似た窓、繁茂するカヤツリグサ、それに朽ち果てた樹木の白い幹のいくつかに視線を移していくと、えもいわれぬほどに魂が沈み込んでいくのがわかるのだ。
    エドガー・アラン・ポー 「アッシャー家の崩壊」


  • ▢ 霧の彼方より(ヤングレディ 1967)
  • 女性週刊誌に6回連載された中編作品。黎明期(50〜60年代)の少女マンガ誌は書き手不足だったので、男性マンガ家も描いていた。ところが読者だった若い女性たちが自ら少女マンガを描くようになったことで、世界でも稀有な特異なジャンルへと成長することになる。貸本マンガから「劇画」、ハイティーンになったマンガ少年のために「青年マンガ」が生まれたように、大人になった少女のための「レディースコミック」への気運が潜在的に高まった。大人の女性が主に読む女性週刊誌に掲載された「霧の彼方より」は元より少女マンガではない。エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を引用した冒頭、古びた洋館で起こる横溝正史風の残忍なミステリ‥‥婚約者を連れて実家に帰った次男が遭遇した連続殺人事件は飛躍的に上達した画力、イラスト化した絵、卓越したコマ割りによって、80年代に花開く「レディースコミック」を先取りしている。

    「アッシャー家の崩壊」を想わせるような低く重たい雲が垂れ籠めた陰鬱な秋の日、今にも崩れ落ちそうな古い大きな洋館に辿り着いた2人の男女‥‥奈良岡美紀(わたし)は婚約者の村上達也に連れられて、彼の実家を訪れた。老婆(ばあや)と長兄(睦彦)が2人を迎える。屋敷の住人は睦彦と妻・弥栄子、ばあやのカネ、お手伝いの娘・良子、下男の源三の5人。その夜、雨が降り出して稲妻が光り、雷鳴が轟く。客室のベッドで眠りに着こうとしていた美紀は凄まじい悲鳴を聞く。不安になって達也の許へ行ったが、部屋の中には誰もいない。廊下に出た彼女は隣の部屋から出て来た女性、首に短剣が刺さった血塗れの良子と遭遇して気絶してしまう。「わたし」が達也の実家に来たのは長男夫婦に婚約の報告をするためと、長兄が弟に宛てた一通の手紙によってだった。その手紙には、屋敷を売り払って別の場所で暮らしたい。財産分割などについて相談したいことがあるので、近日中に帰って来て欲しいと書かれていた。

    ベッドの中で目覚めた奈良岡美紀は心配そうに気遣う村上達也に、お手伝いの良子さんが刺殺されたと訴えるが、恐ろしい夢を見たに違いないと諭される。良子は家族の誰かが病気になって急に里へ帰ったという。翌朝、庭で出合った下男の源三も朝早く娘を車で駅まで送ったと口裏を合せる。美紀は良子の部屋の前で、拭き取った血痕を見つけた。古い美術品のある部屋の中へ入ろうとすると、呪われた品が置かれているので、結婚前の女性が見ると必ず災いに襲われると、ばあやのカネに咎められる。老婆が去った後、密かに入室した美紀は武者の鎧兜を発見する。その夜、彼女は部屋の前で長兄の妻・弥栄子が謎の鎧武者に日本刀で斬り殺されるのを目撃した。翌朝、カネと睦彦から、弥栄子が階段を踏み外して軽い怪我をしたと知らされる。中庭を散策していた彼女は夫と下男が良子の死体を埋めようとしている現場を覗き見てしまう。その直後に背後から鎧武者が斬りかかる。振り下ろした日本刀が木の枝に阻まれて彼女は命拾いした。

    木の幹に小刀で串刺しにされた下男の源三。木の棒で殴られた婚約者の村上達也。ばあやのカネも長兄の睦彦も屋敷内で息絶えていた。スキンヘッドの異形の男が「弥栄、弥栄‥‥」と呟きながら美紀の身に迫る。駆けつけた達也に救われて屋敷の外へ逃げた美紀は夫から驚愕の真相を知らされた。第2次大戦の終わる頃、敗色濃い日本軍は劣勢を挽回しようと焦っていた。その解決策として、科学者だった父の研究所が狙われた。父親の研究を利用して原子爆弾のような大量殺人兵器を造らせようとしたのだ。拒絶した父は軍部によって拷問されて、見るも恐ろしい崩れた顔になってしまった。戦争が終わって帰って来たが、美しい母・弥栄は変わり果てた父の容貌に耐えられず、2人の子供を捨てて他の男と逃げ去った。その後、女性を見ると狂暴化する狂人となった父が閉じ込められていた部屋の檻を破って連続殺人を犯したのだった。屋敷に火を放って焼身自殺した父‥‥大量殺人兵器を造ることを身を挺して反対した科学者が凶悪な殺人鬼になろうとは‥‥。

                        *

  • ▢ わたしだけのあなた(ヤングレディ 1967)
  • 「霧の彼方より」と同じ女性誌に掲載された短篇(16頁)で、判型が異なるためか上部に約1/4の空白がある。イラストレーターの秋良とフラワー・ショップ「REIKO」を経営する玲子は恋人同士。2人は婚約までしているのに、秋良には玲子の店で働く洋子という愛人がいた。玲子の美しさと陽気な明るさ、才能の生み出す経済力は大きな魅力だが、洋子には玲子に感じる躊躇いを補うもの‥‥母の膝の暖かさ、ヌカミソの匂いがあった。秋良は東書房から雑誌のイラストを頼まれた帰りに玲子の店へ立ち寄る。彼女が赤坂へ室内装飾の仕事で出かけた合間に洋子と逢瀬する。本当に愛しているのは洋子の方だと気づいた秋良は玲子を殺そうと企てる。彼女たちの伊豆の別荘への旅行に同伴し、お店の子たちが寝た後、睡眠薬を入れたブランデーを玲子に飲ましてドライヴに誘う。彼女を乗せた車を崖から海へ突き落とそうとするのだが‥‥悲鳴を上げて転落死したのは後部シートの下で眠らされていた洋子の方だった。

  • ▢ 鏡の中で私が死んだ(別冊 DELUXE 女性自身 1968)
  • 僅か9頁のショート・ショートだが、稀少で美麗な装身具のように精緻を極めている。羽根布団の中の爽やかな目覚め、ミス・ディオールの香り、小鳥の声、シンシアの円舞曲、レモンティーとフルーツの朝食、左手の薬指に光る婚約指環‥‥静かな森の中での甘い接吻、大きな洋館で3カ月後の結婚式や北欧一周の新婚旅行について楽しく彼と語り合う「私」。幸せな日々を送っていたのに、うららかな春のヴェールを引き裂いて突然、冬が戻って来たように、明るい昼の陽光の中に夜の闇が入り込んで来たように、怖しい悪夢が甘い微睡みを踏み躙る。野卑な男に手籠めにされる夢‥‥冷たいガラスのようなナイフを握って、もう1人の "私" と向かい合い、男を刺し、 "私" を崖から突き落とした。夢の中で見た "私" の住むアパートへ行った「私」は夢の男に刺されて、夢の続きを思い出す。「私」が男を刺した時に、双子の姉が訪ねて来たことを。お金持ちの家に貰われて行った姉に嫉妬して、2カ月前に殺害したことを‥‥その時に「私」と "私" は無意識裡に入れ替わったのだ。

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    • 「石ノ森章太郎萬画大全集 5-8」(角川書店 2008)をテクストに使いました

    • 「石森章太郎選書 第18巻」(虫プロ商事 1970)を参照しました。選集版の「霧の彼方より」は連載2回目以降の扉絵1枚(前回までのあらすじ)が割愛されているので、全集版とは異なり、左右の頁(割り付け)が途中で何度か入れ替わっています
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    霧の彼方より ── 石ノ森章太郎萬画大全集 10-23

    霧の彼方より ── 石ノ森章太郎萬画大全集 10-23

    • 著者:石森 章太郎
    • 出版社:角川書店
    • 発売日:2008/05/31
    • メディア:コミック
    • 目次:霧の彼方より / わたしだけのあなた / 鏡の中で私が死んだ / チャタレー夫人の恋人 / 人魚伝 / ナイトあんどデイ / 青い風のノート / 青い馬 / 夜…小公園にて / そのむかしおんなの子は… / 今はムカシ… / 灰色の壁


    ゼロゼロ指令 I ── 石森章太郎選書 第18巻

    ゼロゼロ指令 I ── 石森章太郎選書 第18巻

    • 著者:石森 章太郎
    • 出版社:虫プロ商事
    • 発売日:1970/03/15
    • メディア:単行本
    • 目次:ゼロゼロ指令 ── 第一話 世界をポケットに / 霧の彼方より / わたしだけのあなた / 作品批評・森 秀人「石森マンガの "健康さ" にふれて」/ 作品メモ


    黒猫・アッシャー家の崩壊 ── ポー短編集 1 ゴシック編

    黒猫・アッシャー家の崩壊 ── ポー短編集 1 ゴシック編

    • 著者:エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)/ 巽 孝之(訳)
    • 出版社:新潮社
    • 発売日: 2009/03/28
    • メディア:文庫(新潮文庫)
    • 目次:黒猫 / 赤き死の仮面 / ライジーア / 落とし穴と振り子 / ウィリアム・ウィルソン / アッシャー家の崩壊

    タグ:comic ishinomori Poe
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