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トーマの深層 [c o m i c]



  • いつだったか、ディディエ・オードパン主演の「悲しみの天使」という、男子寮を舞台にした友愛(?)映画を見たのですが、親しかった2人の友人の間に種々の誤解が生じたあげく、年下の少年は気持ちを裏切られたと思って走る電車から飛び降り自殺をする。残された年上の少年は「本当にきみを愛していたのに」と、泣き伏して映画は終わるのですが、見ていた私は自殺した少年に同情するあまり立腹し、“恋愛の結果一方が自殺し、一方が「悪かった」と後悔して、そしておしまい、なんて、どうもその後が気になってしまう” といらだち、“じゃあ、誰かが自殺したその時点から始まる話をつくってみよう” というのでつくった話が実は「トーマの心臓」です。/ イントロのページに登場する橋は、小学校のころ画塾の近くにあった橋で、下を鹿児島本線が走っていました。“落ちたらこわいな” と思いながら渡っていたのを思い出しつつ描きました。/ で、トーマは、鹿児島本線に落ちたのです。
    萩尾 望都 『トーマの心臓』


  • 復活祭前日の朝、レーム駅近くの陸橋から落ちて死んだ少年トーマ・ヴェルナー(13歳)。シュロッターベッツ高等中学(全寮制ギムナジウム)のミューラー校長は不幸な事故として生徒たちに報告するが、ユリスモール・バイハンに届いたトーマの「手紙」が覚悟の自殺であることを告げていた。1学年下のトーマは上級生のユーリ(ユリスモール)に付き纏っていた。トーマとアンテ・ローエが始めた茶番劇‥‥どちらが先にユーリを口説き落とすかとうカケだと知ったユーリが激怒して、公然とトーマを振ったことで結着したかに見えた恋愛ゲーム‥‥。しかし、トーマはユーリのことを本当に愛していた。なぜトーマは自殺しなければならなかったのか?‥‥トーマの死の重圧に苦しむユーリは真夜中に発作を起こして、同室のオスカー・ライザーに介抱される。半月後、トーマが身投げした陸橋へ向かい、トーマの墓を訪れて「遺書」を破り捨てたユーリの前に、トーマと良く似た転入生エーリク・フリューリンクが現われる。

                        *

    ユリスモール・バイハンは「クラス委員で図書委員、成績がトップで品行方正」という絵に描いたような優等生の秀才タイプだが、事業に失敗し多額の借金を遺して他界したギリシア系の父親から受け継いだ黒髪(病弱な妹エリザベートは金髪碧眼)のせいで、母方の実家では祖母に疎まれていた。1年前のイースター休暇、妹が入院して祖母だけがいる実家ヘ帰らず寄宿舎に残っていたユーリは罰則のため謹慎中だった八角メガネのサイフリート・ガストに招待されてヤコブ館2階へ行く。悪の誘惑に負けて「堕天使」と化したユーリはトーマの愛に応えることが出来ない。重要なポイントはサイフリートに無理矢理に蹂躙されたわけではなく、ユーリが自ら進んでサイフリートの誘いに乗ったこと。その直後、素行不良、放火未遂という名目でサイフリートたち4人は放校処分になる。煙草の火による火傷とムチによる傷痕をユーリの胸と背中に残して‥‥。正と邪、善と悪、神と悪魔の2面性、正義の仮面を被った2重性がユリスモールという南方系のキャラに深い陰影を与えている。

    ケルンからの転入生エーリク・フリューリンクはマザコン少年だった。恋多き母親のマリエはユーリ・シド・シュヴァルツ氏と再婚するが、2人の結婚に反対するエーリクは家を飛び出して全寮制寄宿校シュロッターベッツに編入する。自殺したトーマと較べられることに苛立ち、ユーリからも仇敵のように邪険視される。上級生に招待された「お茶会」でシャールに抱きしめられ、キスされそうになって失神したり、体育の「とび箱」後、ロッカールームで盗癖のある下級生レドヴィと現行犯で取り押さえたホセの諍いを目撃して倒れたり‥‥情緒不安定な面もある。エーリクは反発しながらも次第にユーリに惹かれて行く。ユーリとの距離が狭まったのはオスカーとの部屋替えで、舎監室の2人部屋に引っ越して同室になってから。マリエからの手紙を心待ちにしているエーリクの許へ1通の手紙が届く。それはマリエからではなく、顧問弁護士アルフォン・キンブルグからの訃報──交通事故で最愛の母マリエが亡くなったという最悪の報せだった。

    オスカー・ライザーの父親グスターフは妻のヘレーネを射殺した後に(殺人犯として指名手配されているわけではないが)、行方不明になっている。5年前、グスターフは幼い息子のオスカーを連れてシュロッターベッツを訪れた。ミュラー校長とグスターフは大学時代の旧友で、お互いに競って美しいヘレーネに恋していた。グスターフはオスカー少年をミュラーに預けて南米へ旅立つ‥‥。オスカーの役どころはユーリの「監視役」とエーリクの「保護者」だろうか。ケンカっ早く不良っぽいところもあるけれど、親身になってユーリとエーリクの2人をサポートする。アンテが流した「ユーリとオスカーがキスしていた!」という、噂によってエーリクとの部屋替えを余儀なくされたオスカーがアンテを問い詰めると、逆に「僕はずっと君が好きだったもの。どうして分かんないの」と告白されて愕然とする。オスカーにはモーさまと同じく、ちょっと「ドン感」なところがありますね。

    陸橋から投身自殺したトーマ・ヴェルナーは冒頭の数ページに登場するだけで、リアル・タイムの物語では登場人物たちの回想の中でしか描かれない。凡庸な作家だったら生きていた生身のトーマを克明に描いて自殺に至った経緯を語りたがるのかもしれないが、萩尾望都はトーマの過去を感傷的に振り返らない。シュロッターベッツを訪れたトーマの父親ベルンハルト・ヴェルナー氏がエーリクを招待する。ヴェルナー家でトーマの写真(雪の中で笑っている)を目にしたエーリクに妻のアデールが語りかける。エーリクの父親ロジェ・ブラウンが彼女の「いとこ」に当たることを‥‥。トーマとエーリクの血は繋がっていたのだ!‥‥2人が双子のように良く似ているのは偶然ではなかった。2人の違いは目と髪の色。金髪碧眼のトーマと茶色の目と茶色の巻き毛のエーリク。エーリクはユーリが自分を通して「金色の髪、水色の目のアムール」を見ていたことに気づく。交通事故で左脚を失ったユーリ・シド・シュヴァルツが面会に来て、エーリクを引き取りたいと申し出る。

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    「訪問者」(1980)はシュロッターベッツ(全寮制ギムナジウム)に入学する以前のオスカー・ライザーを描いた中編作品。トーマやユーリやエーリクではなく、オスカー(9歳)の少年時代というところに作者の思い入れが感じられる。オスカー少年のパパとママ、グスタフ・ライザーとヘレーネの結婚生活は冷え切っていた。夫婦ゲンカも絶えない。「売れない “芸術的な” 写真ばかりを撮っている」グスタフと商社に勤めて家計を支えるヘラ。「酒飲みのルンペン」の趣味は狩猟だった。ある冬の日、仕事を休んで昼間から酒を飲んでいたヘラは、狩猟から帰って来たグスタフに離婚話を切り出す。オスカーが隣家の姉弟と一緒に雪だるまを作っていた時に、家の中から銃声が轟く。2階に駆け上がったオスカーは逆上した父親が右手に握っていたリボルバーで殴られて階段から転落。正気に返ったグスタフは息子が階段から落ちて気絶したことと妻の死をフーフ医師に電話で報せる。第一発見者のグスタフと額を負傷して入院中のオスカーはバッハマン刑事から事情聴取を受ける。

    父親グスタフを庇う息子オスカー。夫が妻ヘラを殺害したのは、オスカーが自分の子ではなく大学時代の友人ルドルフ・ミュラーの子供だと妻から告白されたからだった。放浪癖のあるグスタフを家に引き止めるためにもヘラは子供が欲しかった。2人の間に子供が産まれる可能生は極めて低い。不妊治療(人工授精)もグスタフの大反対で実現しなかった。バッハマン刑事がグスタフに自首(起訴不十分だが)を勧める。「わたしはね、オスカーがかわいそうだ。あんたが自首して罪を償うのが一番いいんです。あの子はあんたの重荷を半分肩がわりしているんですよ」‥‥父親は息子のオスカーと飼犬のシュミットを連れて気ままな放浪の旅に出る。家を捨て、クルマを捨て、病死したシュミットを捨て、オスカーまでも捨てて南米へ旅立とうとするグスタフはシュロッターベッツにオスカーを連れて行く。ミュラー校長とユリスモールが傷心のオスカーを暖かく迎える。「訪問者」を再読すると、『トーマの心臓』がオスカーの物語だということが良く分かる。

    「11月のギムナジウム」(1971)は『トーマの心臓』の原型となった短篇である。11月第1火曜日、ヒュールリン高等中学(ギムナジウム)に転入して来た1人の少年。ブレーメンからの転入生エーリク・ニーリックはトーマ・シュベールにソックリだった。階段で鉢合わせたエーリクとトーマ‥‥驚いて階段から滑り落ちるエーリク、大笑いしたトーマに平手打ちを喰わせたエーリクはオスカーたちの手荒い歓迎会を受ける。「砂糖菓子」という愛称で呼ばれるトーマは全寮制ギムナジウムのアイドル的な存在だったのだ。そのトーマが肺炎で突然死ぬ。委員長のフリーデルがエーリクに真相を打ち明ける。トーマとエーリクの2人は双子の兄弟だったと‥‥。18歳で結婚したヘルミーネは夫が海外へ赴任している間に15歳の学生と恋に落ちた。夫が帰った時にヘルミーネは産まれたばかりのエーリクを胸に抱いて出迎える。もう1人の子供は半年前の列車事故で死んだ長男の忘れがたみとしてシュベール家の末の息子トーマとなる。死んだ恋人の名前はエーリクという。「11月のギムナジウム」はトーマとエーリクの「双子の物語」だった。

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    『トーマの心臓』(小学館 1974)は「帰結方式の構成だから、テーマを最後に出して終わるんです」と作者も書いているように、美少年トーマの死をめぐるミステリ風のストーリになっている。その謎は事故死、自殺、殺人?‥‥という死因(冒頭で陸橋から飛び降りるトーマが描かれている)ではなく、自ら命を絶ったトーマの動機にある。なぜトーマは自殺したのか?‥‥ユーリを苦しめる「死の呪縛」からユーリを救うための自己犠牲へと変質する「愛の物語」とも読めるし、オスカーとエーリクの2人が母親の死を受容する物語、あるいはユーリとエーリクの対立を少し離れたところから見守っているオスカーが実の父親と和解する物語、トーマとエーリクの「双子の物語」‥‥など、多重的な読み方が可能である。今では少女マンガの金字塔として燦然と輝いているけれど、長期連載を依頼しておきながら連載3回目にして早期打ち切りを打診する「週刊少女コミック」の編集長に萩尾望都の心が折れていたら、『トーマの心臓』は完結していなかったかもしれない。

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  • トーマはユーリの秘密を知っていた。だから、近づいたのか。秘密と交換に、なにかを求めたのか。違う。そんな下品なことをする人間ではなかったはず。/ きっと、手を差し伸べたのだろう。それは、もしかしたら、本当にユーリを救うことができる手だったかもしれないじゃないか。/ その発想に、僕は躰が震えるほど驚いた。背中や肩がぞくっとするほどだった。デスクの上に開いた本を見たままの姿勢で、緊張した。まったく文字には焦点が合わなかった。/ 頭の中で、自分自身の叫び声が響いていた。興奮した声だった。僕は表向きの平静さを装って、そっと立ち上がり、自分のトランクへ行く。そちらの方が部屋の隅で、誰からも顔を見られない、と考えたからだ。/ どうして死んだんだ、彼は、トーマは‥‥。/ 何をしたかった? / 自分の命を、何と交換しようとした? / そのメッセージは、ユーリの届いたのか? / そうは思えない。 / 彼の命のメッセージは、まだユーリに届いていない? / みんなが、もう忘れようとしているのに、僕は今頃になって、こんなことを考えている。
    森 博嗣 『トーマの心臓』


  • 森博嗣がノヴェライズした『トーマの心臓』(メディアファクトリー 2009)には原作との相違点が幾つかある。1つは物語の舞台をドイツから戦前の日本へ移したこと。登場人物の多くは日本人だが、日本名ではなくユーリやエーリクなどの渾名で呼び合う。学校もギムナジウム(高等中学)から大学に変更されているので、年齢的に「美少年」とは言い難いかもしれないけれど‥‥。この種の少女マンガが西欧を舞台にしていたのは、遠く離れた異国の地の美少年たちを描くことで、旧制高校的な汗臭いバンカラ気質や卑近な日本少年のイメージを払拭したかったからだろう。抽象性の高い小説ならば日本人であることを意識せずに読むことが出来るし、あえて西欧人にする必要もない。萩尾望都も「あとがき」の中で《トーマは、鹿児島本線に落ちたのです》と書いていた。2つ目は3人称複数視点ではなく、オスカーの1人称視点で描かれていること。3人称客観描写のように世界全体を俯瞰出来ないために、オスカーが知り得ないことは基本的に描かれていない。『トーマの心臓』は35年後にオスカーを主人公にした新たな物語「森版トーマ」に書き換えられたのだ。

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    トーマの心臓

    トーマの心臓

    • 著者:萩尾 望都
    • 出版社:小学館
    • 発売日:1995/09/01
    • メディア:文庫
    • 目次:トーマの心臓 / エッセイ・愛について(大原 まり子)


    トーマの心臓 I(萩尾 望都 Perfect Selection 1)

    トーマの心臓 I(萩尾 望都 Perfect Selection 1)

    • 著者:萩尾 望都
    • 出版社:小学館
    • 発売日:2007/07/31
    • メディア:コミック


    トーマの心臓 II(萩尾 望都 Perfect Selection 2)

    トーマの心臓 II(萩尾 望都 Perfect Selection 2)

    • 著者:萩尾 望都
    • 出版社:小学館
    • 発売日:2007/07/31
    • 収録作品:トーマの心臓 / 訪問者 / 11月のギムナジウム / 湖畔にて(別冊)
    • メディア:コミック


    トーマの心臓(Lost heart for Thoma)

    トーマの心臓(Lost heart for Thoma)

    • 著者:森 博嗣
    • 原作:萩尾 望都
    • 出版社:メディアファクトリー
    • 発売日:2009/07/31
    • メディア:単行本

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    コメント 6

    トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人)

     お久しぶりです。萩尾 望都さんの作品に食いつきました。(笑)
     自分の過去記事にこの関連が4つあったので、早速トラバしましたが、本記事より萩尾さんに詳しい方々によるコメント欄の方が面白かったりします。

     語っても語っても語り尽くせぬ 「トーマ。。」 「11月の。。」 「訪問者」 ですね。
    by トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人) (2009-11-12 10:48) 

    ツムジ

    こんにちわ。sknysさん。

    「トーマの心臓」も実家の本棚に並んでいますが、なんだか重い気がして帰省する度に「ポーの一族」ばかり読んでいました。この記事で思い出して、なんだか眩しくなったので、今度帰ったら読んでみることにします。ありがとう。
    by ツムジ (2009-11-12 11:10) 

    sknys

    トミー。さん、コメントありがとう。
    なかなか「ハギオ花火」を打ち上げられなかったのですが、
    『レオくん』で火が着き、「森版トーマ」で爆発しちゃった^^
    「訪問者」の投げかけた火花が『トーマ』を一層、陰影濃い物語にしている。

    今年は祝デビュー40周年、『思い出を切りぬくとき』が11月に文庫化、
    「萩尾望都原画展」も12月に開催という、絶好のタイミングとなりました。
    西武ギャラリーで会いましょう^^
    by sknys (2009-11-12 19:44) 

    sknys

    ツムジさん、コメントありがとう。
    『トーマの心臓』は重いけれど、眩しいですね^^
    トーマの死がユーリの漆黒の心を逆照射しているからかな?

    「トーマの真相」にしようかと迷いましたが、
    「萩尾望都原画展」の公式サイトに《緻密に描かれた人間描写や深層心理》
    とあったので、「深層」で良かったなぁと‥‥^^;
    by sknys (2009-11-12 19:54) 

    miyuco

    sknysさん、こんにちは。
    冒頭が二色刷りだった初回は
    切り抜いて大切に保管していました。
    私はこの作品が大好きだったので
    途中で萩尾さんが人気がないから打ち切られそうと
    訴えているのを読んでビックリでした。
    (このとき初めて「アンケート」の役割を知りました^^;)

    少コミ連載を読んでいたのは
    13歳の中学生だったので
    高校生くらいまで何度も読み返しては
    そういう意味だったのかと新しい発見をしていました。
    当時、感じたものをそのままにしておきたくて
    「森版トーマ」を読む気にならないです。
    でも、うっかり読んじゃったら記事にしようかな^^
    「原画展」楽しみにしています♪
    by miyuco (2009-11-14 20:10) 

    sknys

    miyucoさん、コメントありがとう。
    モノクロの文庫本だと二色刷りやカラー頁が逆に見難くなっちゃうのよね。
    せめて二色刷り頁だけでも雑誌掲載時のまま再現して欲しいな。

    「長期連載を一発、ぶちかまそうよ!」と焚き着けた編集I氏が
    編集長になった途端に打ち切りを迫る‥‥。
    手のひら返しの豹変ぶりに萩尾望都さんも大ショックを受けたでしょう。

    連載当時は編集者も読者も『トーマの心臓』の本当の意味(作者の真意)が
    分からなかったのかな?
    リアルタイムで読んだ美少女たちが成長する過程で、
    何度も読み返し、作品も「傑作」に育って行ったのでしょう。

    「森版トーマ」は表紙カヴァだけでなく、
    各章の扉にも書き下ろしイラストが入っている。
    モーさま公認のノヴェライズとしては悪くない出来だと思います。
    原作のイメージを穢さないように、細心の配慮を払って書いたような‥‥。

    実は液晶モニタ画面のバックライトが切れて、「闇夜のカラス」状態^^
    丸8年余り酷使したノートブック(iBook)も、そろそろ寿命かしら?
    ちょっと更新が滞るかもしれません^^;
    by sknys (2009-11-15 14:19) 

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