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スプーキーな恋人 [b o o k s]

『スプートニクの恋人』(講談社 1999)は1人2役、「ぼく」=「すみれ」のサイコ・スリラーである。「ぼく」が「すみれ」の恋愛──《22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた》──について語る冒頭シーンから茫漠とした異和感が漂う。「すみれ」の写真が1枚もないのは変な話だし(「人間の持ちうるある種の特質についての得難い記録」って何のこと?)、「髭をはやせるものなら、きっとはやしていたはず」というユーモアも奇妙に響く。ミュウとの運命的な出会い──「すみれ」の従姉の結婚披露宴会場で同席した際の描写も不自然に映る。普通、1人称単数を主人公(話者)にした小説は必然的に視点が固定されるために、物語世界の全体像を客観的に俯瞰出来ないという不都合が生じる。それが例えばハードボイルドなどでは、私立探偵(→読者)を宙吊りにするサスペンス効果を生むのだが、常に事件の現場に居合わせないと決定的シーンを直に描写出来ないというハンデを背負う。ところが「すみれ」とミュウの会話を描写する「ぼく」は、それが後日「すみれ」から訊いた伝聞情報なのにも拘らず、恰も偶然その席に居合わせたかのような臨場感で物語る。まるで「透明人間」か「幽霊」でもあるかのように。

更に言えば、一見「ぼく」と「すみれ」とミュウの不思議な3角関係のようにも思われるが、何故か3人が一堂に会することは遂に1度もない。常に「ぼく」→「すみれ」/「すみれ」→ミュウ/ミュウ→「ぼく」の2人(1対1)でしか現実には会っていないのだ。その不自然性が「すみれ」からの伝聞に基づく「ぼく」の語りによって、まるで男1人女2人の異性・同性愛の3角関係のように巧妙かつ巧緻に記述されていく。そのために多くの読者は恐るべき「現実」に気づかぬまま、「すみれ」の失踪した本当の理由も判らぬまま、この小説を男女&女女2組の「悲しい失恋物語」として幸福にも読み終えてしまう。この、世にも怪奇な物語の核心──「すみれ」が鏡の中の、もう1人の「ぼく」であるという「衝撃の真実」──は永遠に隠されたまま‥‥。

物語はミュウの秘書として同行した「すみれ」がワイン買い付けのためのヨーロッパ旅行(ローマ〜ヴェネチア〜ミラノ〜パリ〜ブルゴーニュ)の後、ギリシャの小さな島で休暇中に《薄い絹のパジャマにビーチ・サンダルという格好》のまま失踪することで急転回する。ミュウからの国際電話で非常事態を告げられた「ぼく」は躊躇なくギリシャへ飛ぶ。「すみれの失踪」‥‥そして彼女の部屋に残されたPowerBookで、赤いスーツケースの中に隠されたフロッピー・ディスクの中の「文書1・2」(すみれの手記)を読み、「すみれ」の夢とミュウの14年前の超常体験──スイスの遊園地の観覧車の中に一晩閉じ込められた恐怖で白髪化‥‥。双眼鏡でアパートメントの自分の部屋を覗き視ると、もう1人のミュウ自身(ミュウ2)がスペイン人の男と性交していた!──を知ることになる(この場合もミュウ本人から「ぼく」が直接訊いた話ではない)。つまり「すみれ」は自分の分身(ドッペルゲンガー)を視てしまったというミュウの「怪談」を聞くことで、彼女自身が「ぼく」の分身である可能性に気づいてしまったのだ(触媒としてのミュウ)。ミュウ=ミュウ2と「ぼく」=「すみれ」の関係が、鏡を間に挟んだ相似形であることに。恐らくミュウもギリシャの島に駆けつけた「ぼく」と初対面した瞬間に、そのこと(「初めて会ったような気がしないわ」)に気づいたはずだ。妄想性多重人格者(?)の「ぼく」も物語のラストで、この事実にウスウス気づいたのではないか。

「ぼく」と「すみれ」の1人2役説を受け入れれば殆ど総てが合理・論理的に解決出来るし、今まで感じてきた薄いベールで覆われたような異和感も悉く氷解していく。「すみれ」の写真が1枚もないのも、彼女の部屋に「まともに映る鏡」がないのも、「ぼく」が勃起することは出来ても「すみれ」と性交出来ないのも、3人が一堂に会することが1度もないのも、「ぼく」が彼女のスーツケースの暗証番号(0425)を潜在的に知っていたのも、「すみれ」の両親(ということは彼の父母でもある訳だ!)と会おうとしないのも──両親の来る前に、逃げ帰るようにギリシャの島を後にする──、「ぼく」と「すみれ」が同一人物であるという仮説を受け入れることで総て辻褄が合う。「ぼく」のもう1つの人格に過ぎないことに気づいた「すみれ」は報われない同性愛と分裂した自己愛の狭間で苦しみ抜いた上で、彼女自身(の人格)を自ら消滅させる道を選んだのだろう。言うまでもなく「ぼく」と「すみれ」の対話は「ぼく=すみれ」の独り言(芝居)だし、下世話に言えば小鳥遊練無クンのような「女装マニア」ということになる。それとも「ぼく」は始めから女性!‥‥「男装の麗人」あるいは、両性具有者(アンドロギュヌス)なのか?

ギリシャの島から「男装」して脱出した「すみれ」は秘かに日本へ舞い戻り、「ぼく」に為り変ってミュウからの国際電話を受け再びギリシャへ向かう。小学校教師(男)とミュウの秘書(女)の両立は難しいのではないかと訝しむ人もいるかもしれないが、いずれも「ぼく」(1人称単数)の言説なので、それが事実だという客観性はない。「ぼく」は本当に教師なのだろうか?‥‥この物語全体が「ぼく」1人の妄想世界の産物でないという保証はどこにもない。今まで慣れ親しんできた1人称の「僕」ではなく「ぼく」とカナ表記している点にも注意すべきだ。村上春樹は愛読者からの素朴の質問にHP上で《「僕」と「ぼく」とでは、何かが違うわけです。もちろん変えたのは意図的なことです。何が違うんでしょうね? えーと、ぼくの口からは言えません。あの本の結末は実体のない影であり、音のない残響なのです。》などとトボケているけれど、確信犯なのはミエミエだ。実は作者自らが「すみれ」の口を借りて、小説の最後でタネ明かしをしている──「あなたは私自身であり、私はあなた自身なんだって」と。これをメタファではなく文字通りの事実として受け取ること。その時、奇妙な3角関係の失恋物語は全く別の相貌を現わす。

                    *

1人称単数で書かれた小説が如何にアテにならないかを最初に指摘したのはホルヘ・ルイス・ボルヘスである。「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」の冒頭で披瀝される僚友アドルフォ・ビオイ=カサーレスとの有名な議論──《語り手が事実を省略もしくは歪曲し、様々な矛盾をおかすために、少数の読者しか──ごく少数の読者しか──恐るべき、あるいは平凡な現実を推測し得ない、1人称形式の小説の執筆について‥‥》で言及されている「小説」とは、(J・L・ボルヘスをして「完璧な小説」と言わしめた)A・ビオイ=カサーレスの中編『モレルの発明』(1940)のことを暗に指す。絶海の孤島に辿り着いた「私」が体験する未曾有のSF幻想譚。「私」とモレルとフォスティーヌの奇妙な3角関係。「私」の記述する内容を真に受けて驚く前に、まず「語り手」の信憑性の方を疑ってみるべきだということ。コートームケーな話であればある程「頭のオカシイ男」のホラ話ではないかと疑ってみること。

現実生活では無闇に他人の話を信用すべきでないと日々自戒しているのにも拘らず、フィクションの中の「私の告白」は、何故か無防備に信じてしまう傾向がある。それはフィクションの中のフィクションという「物語」の内包する根源的な重層性(2重構造)と密接に拘っている。作者や主人公(話者)が直接自己の体験を語るのではなく、「私」が第三者から聞いた奇妙な話を物語るという「入れ子構造」。ロラン・バルトも《問題は物語ることではなく、人が物語っていると物語ることだ》と喝破しているように、単に頭のオカシイ男の「ホラ話」ではないかという疑念が逆に「小説」のリアリティを保証する。その結果、物語が幻想〜SF的になってしまうのは当然の帰結で、例えばカート・ヴォネガットのSF小説は殆ど、この形式で書かれている。もっとも他の例を引くまでもなく、他ならぬボルヘスの短篇「トレーン‥‥」それ自体が1人称形式で書かれているという笑撃(?)のオチが、言葉で描かれた「幻想国」を強固に額装しているのだが。

この油断ならぬ1人称形式は〈意識の流れ〉〜ヌーヴォ・ロマンの発明→実験によって3人称にも応用可能となった。何故なら〈意識の流れ〉──登場人物A・B・C‥‥の意識の中に自由に出入りして、A・B・C‥‥の視点で主観的に思考(内的独白)する20世紀の方法論──とは3人称(複数)を1人称的視点で描写する試みなのだから(例えばマンディアルグの『オートバイ』(1963)の金髪美女ヒロイン、レベッカ・ニュル嬢の思考は事実認識上で明らかに矛盾・錯綜しているし、ロブ=グリエの『嫉妬』(1957)の語り手の視線は意図的に著しく歪められている)。『モレルの発明』の「訳者解説」で清水徹氏は《「髭の女」であるモレルにとってフォスティーヌが「接近不能」であるとは、実はモレルが男装した同性愛の女だったということを意味するのか?》と、まるで『スプートニクの恋人』の「謎解き」を予見するかのような文章を残している。ここまで書けば村上春樹氏が『モレルの発明』を読んでいない可能性は限りなくゼロに近いでしょう。

「私」の物語はSF&幻想性を強めて、複雑・怪奇的にならざるを得ないが、エンタテインメントとしてのミステリィに場を移すと「叙述トリック」という形式に落ち着く。この手の推理小説で世界で一番有名なのはA・クリスティの『アクロイド殺し』(1926)だろう。一読した誰もがアッと驚くと同時に「ルール違反だ!」と叫んだ(?)、ワトスン=ホームズものの裏をかく「叙述トリック」の嚆矢──毀誉褒貶、仮令なんと言われようと最初に書いちゃった人の勝ちです。その独創的な手法も手を替え品を替え、今ではミステリィの1ジャンルとして定着している。タイトルに偽りありの『ハサミ男』(殊能将之 1999)と、それを高度に複雑・作為化した『鏡の中は日曜日』(2001)、逆にシンプルな故に美しい『今はもうない』(森博嗣 1998)、過去と現在を並記することで叙述トリックを巧妙に仕掛ける『水車館の殺人』(綾辻行人 1988)、ミステリィではないが完璧な叙述トリックの傑作短篇「ジャムの真昼」(皆川博子 2000)‥‥その気になって捜せば、孤島の海辺に打ち上げられた不思議な漂着物のようにゴロゴロ見つかるだろう。

                    *

1人称単数の語り(騙り?)には気をつけろと再三釘を刺しておきながら、その度にまんまとダマされてしまうのだから、ミステリィ読みは辞められない、止まらない。逆に言えばエンタテインメント性の砂糖や油脂で被覆された「叙述トリック」というスナック菓子は、その分気楽に頬張れるけれど、幻想・SF的色彩の濃い純文学作品(?)──『モレルの発明』や『スプートニクの恋人』はゴシック・ロマン〜サイコ・スリラー的ウス気味悪さが際立ち、ボルヘス言うところの「ごく少数の読者」を不安の井戸の底へ突き落とす。ラストで自分の「異常性」に漸く気づいたらしい「ぼく」ことミスターK(って誰よ?)は、幻想の中で「すみれ」──「スミレ」=「pansy」には「同性愛の男」という意味もある。先に引用した清水徹氏の言葉を借りれば、《実は「すみれ」が女装した同性愛の男だったということを意味するのか?》となる──と共に孤独な「生=死」を生きるしかないのか‥‥それとも、精神科医・香山リカ先生の診断を仰ぐべきなんでしょうか。

「スプートニク」(спутник)とはロシア語で「衛星」のことだが、何故かミュウは語源的な意味の「旅の連れ」(Traveling Companion)の方に受け取って不思議がっている。恋人ミュウという「地球」の周りを回る「衛星」としての「すみれ」のイメージも、一生に1度だけ出会う軌道の異なる2つの「衛星」に修正される。ミュウが閉じ込められた夜の観覧車が「衛星」のアナロジー──偵察衛星の高感度監視カメラで地球の自分の家の中を盗撮したら、もう1人の自己(ドッペルゲンガー)がいた!──だとしたら、ミュウ2の棲む「地球2」はミュウにとって「幻影の星」ということになる。ミュウ→ミュウ2と「ぼく」→「すみれ」の関係が相似形なら、「ぼく」にとっての恋人「すみれ」も幽霊のような幻の存在。喪失と幻視による空洞化‥‥「すみれ」を失った「ぼく」と、ミュウ2を視てしまったことで白髪化したミュウは、内部にライカ犬の「死」を封印した柩として暗黒の宇宙空間を彷徨い続けるスプートニク2号のように、お互いに空虚な内面を抱えた「抜け殻」として残りの「生」を全うする他ない。「スプートニクの恋人」とは「すみれ」から見た恋人ミュウと、「ぼく」から見た幻の「すみれ」を指すが、同時に3人は「旅の連れ」でもある。つまり、ブラックホールのような「地球」(という「現実」)を周回する「ぼく」とミュウという孤独な2対の「衛星」も2度と交わることはないのだ。

                    *

  • 註:本文記事中に下記の文章を追加しました。(2006/01/31) ──「スミレ」=「pansy」には「同性愛の男」という意味もある。先に引用した清水徹氏の言葉を借りれば、《実は「すみれ」が女装した同性愛の男だったということを意味するのか?》となる──
  • サブタイトルが変更されたので週刊化したのか?‥‥と思われた読者もいるでしょう。記事の方は大丈夫ですが「ネコ写真」が続くかどうか心配‥‥という訳で、目下のところ考慮中。週〜隔週刊の間をとって旬刊(1・11・21日発行)という可能性もあります。

                    *



スプートニクの恋人

スプートニクの恋人

  • 著者:村上 春樹
  • 出版社:講談社
  • 発売日:1999/04/20
  • メディア:単行本





モレルの発明

モレルの発明

  • 著者:アドルフォ=ビオイ・カサーレス(Adolfo Bioy Casares)/ 清水 徹+牛島 信明(訳)
  • 出版社:水声社
  • 発売日:2008/09/30
  • メディア:単行本
  • 目次:序文(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)/ モレルの発明 / 訳者解説(清水 徹)



伝奇集

伝奇集

  • 著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)/ 鼓 直(訳)
  • 出版社:岩波書店
  • 発売日:1993/11/16
  • メディア:文庫
  • 目次:八岐の園(プロローグ / トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス / アル・ムターシムを求めて /『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール / 円環の廃墟 / バビ...

コメント(8)  トラックバック(1) 

コメント 8

miron

とっても面白かったです。
「ぼく」=「すみれ」という読み方はしていなかったので、目からウロコでした。多重人格、あるいは生き霊の話は、『海辺のカフカ』にも繋がっていきますね。
実をいうと、今迄、私は、「ぼく」が「すみれ」を殺したのかと思っていました。。(冒頭等で描かれる1999年の黙示録的な世界と、そこからの夜明けを描いているのかと。)
「ぼく」=「すみれ」で「すみれ」=幽霊 というのと組み合わせると、見通しが良くなりますね。もう一度読み返してみます。

ミュウについて、
ミュウとミュウ2、面白かったです。
(『ミュウツーの逆襲』っていう映画も面白かったです。)
なお、宇宙の分野では、μ(ミュウ)は、衛星の緯度(井戸と同じ音)を表現するのに使われることがあるようです。
by miron (2006-01-14 09:52) 

sknys

・ miron さんなら、きっと読んで(解って)くれると思っていました。
コメント& nice! を貰えて幸せです。
「すみれ」が「ぼく」に殺されたという「殺人説」も有力ですが、
その場合は犯行現場の特定が問題……
展開によっては、ミュウが真犯人という可能性も出て来ます。

『スプートニクの恋人』は村上ファンの間でも毀誉褒貶喧しく、
(Google検索していると)結構手厳しい意見も多くて、
全然分かってないなぁ……と内心忸怩たる想いで、書いてしまいました
(もしかしてネタバラシは禁じ手だったのかも?)。

丸谷才一が書評(未読)で絶賛していたというblog記事を見掛けました。
仕掛け小説好きの丸谷氏なら、この消失トリックを見破ったはず……
それなのに「1人2役説」が流布しなかったのは、
ネタバラシを不粋と考えて、敢えて慎んだのではないか?

この小説が綾辻行人のミステリィだったら、
最後に名探偵・鹿谷門実が孤島(ギリシャの島)からの
脱出トリック=1人2役の謎解きをして、見事に怪事件解決!──
読者のモヤモヤもスッキリ解消されたんじゃないかな。
ここが読者に1段高いハードル(リテラシー)を要求する「純文学」と、
エンタメ小説の差ではないかと思います。
by sknys (2006-01-14 17:32) 

こにゃ

おじゃまします☆
s k n y sさんとこの猫ちゃんはいつも凛としてますね~
うちのPCで飼っているポスペ(古いVer.)のフロは
年齢2291日になりました。
そして最初性別を不明で設定したのにオスになっていた!
びっくり←最近知った(笑)
by こにゃ (2006-01-14 19:53) 

sknys

・こにゃさん、久しぶり。元気ですか?
昨年、体験版PostPet V3のコモモを飼ってみたのですが、
1ヵ月経ったら失踪してしまい、とても悲しい想いをしました。シクシク。
こにゃさん家のフロ君は長寿(長風呂?)ですね。

トップの「2重面相猫」は顔だけでなく躰の方も市松模様というか、
柄の別れ目がタイルを嵌め込んだみたいに直線になっている。
ちょうど春雨が降って来て一緒に雨宿り……
外部給湯器の上(暖かいからね)に乗っています。

実は、こういう「猫コメント」を待っていました!
「読んでいるblog」には登録していなくても、
nice! してくれた人のblogは定期的に見に行っています。
by sknys (2006-01-14 20:56) 

blanc27

すっかり日本の本が読めません(なぜなら関税かかって高いからです 泣)
村上春樹はノルウェイの森以来読まず…男性目線の女性の描写に違和感を覚えたからでしょう。今読んだらどんな気分になるのかな。
by blanc27 (2006-01-15 02:55) 

sknys

・blanc27さん、コメントありがとう。
ロンドンと東京の時差は15時間位ですか?
こちらもblogを始めてから、余り本が読めなくなりました
(意識下で次に更新する記事内容を必死に考えているのかも……)。

『スプートニクの恋人』は英訳本(Sputnik Sweetheart)が
出ているはずです。
変なプレッシャーを掛けちゃったかな?……と心配していましたが、
今日、更新(RSS)されていたので安心しました。
by sknys (2006-01-15 12:52) 

こにゃ

こんばんわ☆ 元気ですよ~^^
更新されていないと解っていてもちょこちょこ伺ってます。
猫写真は続けて欲しいのですが(願望・・・要求!?)
意識下で記事内容・・・まさにそうです!
ブログの弊害?!ぶろぐまじっくですかねぇ(謎)
次は今読んでいる本の記事なのでしょうか。楽しみですっ。
by こにゃ (2006-01-16 22:13) 

sknys

・こにゃさん、こんばんは!
元気のなかったのは、こっちの方だったかも……。
実は先週末から『綿の国星』の記事内容をめぐって一騒動ありました。

身から出た錆とはいえ、コメント付けまくりで疲労困憊。
詳細は〈猫のゆりかご〉のコメント欄を参照して下さい
(長〜〜いので暇なときに読んで、笑ってね!)。

けろろ軍曹さんという怖〜い「背後霊」……じゃなかった!……
「ご意見番」が付いちゃいました。
こちらから、お願いしたんですけれど、博覧強記で頼りになります。

週刊化を見送ったので「ネコ写真」の方は当分大丈夫です。
次回は〈レオノール・フィニ展〉の感想を書きます。
by sknys (2006-01-17 00:34) 

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スプートニクの恋人 村上春樹(milk pan,milk crown 2006-02-27 20:40)

a weird love story*weirdとても奇妙な、ミステリアスな、この世のものとは思えない、22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。更につけ加えるなら、女性だった。それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとん…[続く]

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